徴兵体験百人百話



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  d1126038220
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所在地 :神奈川県
神奈川県大阪府
運費參考
<60cm : 740円
<80cm : 970円
<100cm : 1180円
<120cm : 1400円
<140cm : 1610円
上為日本宅配參考值,如三邊之和超過140cm,運費比參考價格高許多,大型商品建議先詢問賣家具體運費。
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徴兵体験百人百話
阪野吉平著 17出版  20158151刷発行
米沢新聞(200212-20039)で連載された「戦争聞き歩き百人百話」を原稿段階から精査、再編集したものです。

目次
1 練習と同じように、早く敵に野砲ぶってみたいと思っていた。
2
 命令一本で生きるか死ぬかの毎日。それが紙一枚と銀杯と時計をもらっただけよ。武雄)
4
 石鹸とタバコをお湯に溶かして飲んで、わざと下痢して、入院する人もいた。山丹
5
 食えそうな物は何でも口に入れた。火を使うと知られるから、全部生で食った。
6 これはもう死ぬなと思った時は、必ず母親の顔が目に浮かんだ。
7 ソ連兵と組んでトラックで野菜かっぱらってきて料理した。
8 先の見えない毎日だった。食うことで精一杯だった。
9 目覚めたら隣の兵隊、豚小屋の材木が首に当たって死んでいた。
10
 赤紙来た時、丈夫な体だったら海の中で魚のエサになっていた。
11
 機関士は襲撃が始まると汽車停めて逃げるのよ。
12
 「志願にあらざる下士官」ということで即日召集された。
13
 街の中で野犬が死んだ赤子をくわえているのを何回も見た。(
14
 街全体が黒の世界だった。川では死体が無数に海の方へ流れていった。
15 明日銃殺されるという日に周恩来が来て、助けられた。
16 ノモンハン事件。待機しているうちに停戦となり、前線へは行かなかった。
17
 今も目に焼きついていることがあるが、あれは話せない。
18
 古参兵になってからは、神様みたいに楽だった。
19
 一銭五厘の兵隊。人間の方が兵器より安く集められる。ハガキ一枚一銭五厘だった。
20
 戦ったと言ったって君にはわからないだろうが、殺すか殺されるかの毎日だ。
21
 麻酔薬なしで隊はバラバラになった。人の心もバラバラになった。
22 連隊長の前で、浪花節の「召集令」をやった。連隊長、涙流して聞いてくれた。
23
 「天皇陛下万歳」と言って死ぬ兵隊はいなかった。
24
 朝鮮人の密偵はドイツは二月、日本は六月に負けると言ったのよ。
25
 終戦と同時に部骨をノコギリで切って、ぐるりの肉を寄せ集めて、十七針も縫った。
26 帰る時、苦力たちは駅まで見送りにきて泣いていた。
27
 上官には絶対服従。なんで殴られたかわかないのがしょっちゅうだ。
28
 アメリカの飛行機が猿羽根山に墜落したなよ。一人のパイロットが生きていた。
29
 六か月もの間、山の中を逃げ回った。自分で作った針で服を修復し、わらじを作った
30
 討伐は三日で終わる時もあれば、一か月も追っかけたこともあった。
31
 兵器類を集めて焼いた。その時、本当に負けたんだなぁという気持ちになった。
32
 ある時は介石軍、ある時は毛沢東軍と毎日のように戦闘よ。
33
 朝起きると六尺の棒で病人の頭をポンポンと叩く。
34
 軍刀を米沢の南部骨董屋へ一万円で売ったなよ。
35
 朝、目を覚ましたら、ぐるり一面にゴロゴロと中国兵が死んでいた。
36
 なんで顔色も格好も同じ人たちと戦わなければならないのだろうと思った。
37
 ぐるりにいる人、みんなドロボーに見えたな。俺もドロボーの一味なんだけれど。
38
 身体検査不合格で、悲観して、鉄道自殺した者もいた。
39
 日本軍には鳩兵がいて百羽くらい飼っていた。その鳩に戦況を書いて放した。
40 夜になると現地人を案内人にして次の村へ移動、着くと案内人を殺した。
41
 司令官の部屋の掃除、鉛筆は十本以上すぐ書けるようにしておいた。
42 敵機内でマフラー振っている女がいた。その女が俺たちに機銃掃射するのよ。
43
 勝つ方法は一つ。肉弾戦だけよ。二百人の中隊が数人になったこともある。
44
 海軍上等整備兵曹で責任者の俺が、七人の部下とともに毎日イモ畑で働いた。
45 帰る頃、介石からの勲章をもらった。介石軍のおかげで日本へ帰れた。
46
 弾は、俺の目に当たって、耳のそばを通って外へ出た。
47
 なぜメレヨン島が早く、特別仕立ての病院船で帰還できたのか。外地引き揚げ一号よ。
48
 古参兵が捕虜を連れてきて、新兵の度胸試しだと、俺だに捕虜を銃剣で殺させた。
49
 食う物は飼料並みだから骨と皮ばかりになり、栄養失調でバタバタ死んだ。
50 政府軍では上の者がピンはねするのが当たり前だった。
51
 「先に行ってくれ、後から行くから」。しばらくすると手榴弾で自爆する音。
52 ハンドルは転場。ドアは開閉機。英語は「敵性語」といって絶対使えなかった。
53
 毎日八時間、穴の中で働いた。弱い人はどんどん死んでいった。
54
 上陸したまではよかったものの食糧の補給がない。食料調達の毎日だった。
55
 終戦から四か月経って陸軍善行證書をもらった。俺の宝物だ。
56
 ビンタ来るなと思う時、歯をぐっと噛むと痛さ感じなくなる。何でも訓練よ。
57
 俺がいたのは爆心地から二キロの所だった。
58
 中隊長が「この戦は負け戦だ。こんなところで死んではダメだ」と言った。
59
 戦争ってむごいもんだよ、殺すか殺されるかだ。民間人でもだ。
60
 軍隊は運隊だとよく言うがあれ本当だ。運の良かった俺は生きて帰れた。
61
 負け戦の時の衛生兵は大変よ。自分だけ逃げるわけにはいかないから……。
62
 弾が俺の肩から両方の肺を通って横っ腹から抜けた。俺の腹、見せっか。
63
 白い飯を腹いっぱい食えれば、死んでもよいとはいつも思っていた。
64
 カムチャッカ半島で二年間捕虜生活。軍隊の時より捕虜の時の方が「楽」だった。
65 俺の乗った軍艦は四回沈んだが、俺は生き残った。
66
 校長と女の先生が天皇陛下の写真を焼いているのを見て、敗戦を実感した。
67
 特攻隊員たちはブルブル震えて何も話すこともなく飛んで行った。
68
 上官の食事を運んだ時、箸を忘れたら軍靴の底で飯が食えなくなるくらい殴られた
69
 二千人を毎日海岸へ連れて行きダダダ……よ。砂浜に穴掘って埋めた。
70
 毎日定時に米軍の攻撃。でも、なぜか真剣に攻撃しているように思えなかった。
71
 冬、訓練中は寒いから、お棺を壊して燃やし、温まったこともあった。
72
 昭和十七年から二十九年まで。十二年間の俺はなんだったんだろう。
73
 俺の足に痛み感じてズボンまくってみると、機関銃の弾がポロリと落ちた。
74
 アメリカ兵が両手を上げて近づいて来た。アメリカが負けて降参したと思った。
75
 敵の戦車に対抗する練習を始めた。何のことはない、自爆の訓練だ。
76
 日本兵が敵味方にわかれて戦ったりもした。不思議な時代だった。
77
 特攻隊兵になった。遺書は何回も書いた。決まり文句があってよ。
78
 兵隊の話なんて、えっぱいある。今考えると、よーく生きて帰れたと思う。
79
 あの時、ボルネオに残れば生きては帰れなかった。
80
 兵隊検査、本当は身長を測る時、少し背伸びしたなよ。
81
 威張っていて働かないと、いつの間にか事故死する。本当は周りの者に殺されたのよ。 ナホトカ港へ、ソ連への賠償艦として引き渡しに行く時で俺の戦争は終わった。
83 戦争が始まった日に「貧乏人が金持ちとケンカして勝てる訳がない」と親父が言った。 山の中腹で憲兵十人がピストルで相撃ちして死んでいた。
86
 ジャボースケのアレは小さいなと言われて触られた。87 夜、便所に行くのが怖かった。海面に無数に浮いていた死体を思い出すのよ。(
88
 リンガエン湾に海が見えないほど敵艦が集まった。蛸壺を掘り、死を覚悟した。
89 吹雪で食料が三十日も届かない時、松の皮と幹の間の薄い皮を食って生き延びた。
90 ソ連の労働者と一緒に働いた。「俺たちも苦しんでいる。君たちも頑張りなさい」。
91 俺たちの高射砲は大正時代の代物、B-29には届かない。「無駄な弾撃つな」の命令。
92
 開拓団の母親から「子供を殺してくれ」と足にしがみつかれたこともあった。
93
 戦争はしない方がよい。みじめだ。勝っても負けても、悲しみだけ残る。
94
 一回二十円でアレできた。いざ本番の時、警戒警報。女が俺の金持って逃げて行った。
95 毎日、八路軍との殺し合いよ。入隊する時の俺とは全然違った俺になっていた。
96
 寒くて常に火を焚いていたが、馬がオオカミやトラに襲われないためもあった。
97
 天皇の大きな絵とスターリンの絵があって、「どちらかを踏んで通れ」と言われた。
98 一心に母に祈った。「助けてくれ、守ってくれ」とな。
99
 君、想像できる? できないべぇ、それが戦争だよ。
100
 収容所の六百人中、日本へ帰ったのが四十六人。一度死んで霊安所に運ばれた。
101
 黒塗りの自動車が来て、その中から黒縁眼鏡をかけた東条閣下が降りて来たなよ。
102
 京都の飛行場では、ワラの機体に紙を貼って色付けした模型の飛行機を置いた。
103
 二百五十キロの砂袋を積んで敵艦に突っ込む練習。死ににいく練習よ。
104
 十四日の朝、日本が負けたと知った。なんで前日にわかったのか不思議だ。
105
 俺たちが投げた手榴弾を敵が拾って投げ返すのよ。それで死んだ人もいたった。
106
 GHQ本部から呼び出しの通知が来た。心配で心配でよ。
107
 「回天」という人間魚雷。一人乗りで脱出口もなく、発進すれば死が待っている。
108
 アメリカ軍の日本向けの放送が聞こえた。禁止されていたが時々聞いた。
109
 子供が死んだ母親にすがりついて泣いていたのは、今、思い出しても悲しくなる。
110
 特攻隊への志願があったが、俺、十四だったために外された。