希少本武藤少弐興亡史渡辺文吉訂正表北部九州中世郷土史解説元寇写真歴史資料満載少弐氏大宰少弐武藤氏総説累代人物像遺跡遺物伝承系図年表



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絶版希少本 武藤少弐興亡史 渡辺文吉 海鳥社 訂正表付  北部九州中世郷土史 解説 系図 元寇 年表 写真歴史資料満載

渡辺文吉 著
海鳥社 
1989年
約19x13x2cm
288ページ
ソフトカバー モノクロ

※絶版
※別刷りの訂正表付き

争乱の血煙が立ちのぼる群雄 割拠の戦国時代――本書は多く不明とされてきたこの戦国・筑前の歴史を初めて綜覧する
大宰少弐一族四百年の謎に迫る――
大宰少弐として中世九州に蟠踞した武藤氏は、戦国期の到来と共に滅亡へと向かう。
謎につつまれた武藤少弐氏の四百年の栄枯を史料研究とゆかりの地探訪によって、鮮やかに描きだす。
少弐氏については類書が非常に数少なく、大変貴重な資料本。

少弐氏こそ、中世における北部九州筑・豊・肥の主人公であり、
探題、菊池、大内、大友は皆客人である。蒙古や李・朝鮮の軍隊も客人である。
また膝下には向背ままならぬ召使、すなわち国人衆を沢山かかえている。
たとえば、秋月、原田、麻生、宗像、龍造寺、松浦党の面々といったところである。
それらといかように応対していったか。
四百年近い歴史の重みは、あまりにも厚く、そして忘却のヴェールに包まれている。(「はじめに」より)


【はじめに】
 専門の歴史家なら充分ご承知のことであるが、一般の人々、それも多少とも郷土の歴史に関心を有する人達の間ですら、大宰少弐武藤氏に関する知識は驚くほど少ない。なぜこういう状態であるのかは、色々理由のあることであろう。しかし、歴史上武藤氏の占める存在の大きさからいって、世間の認識の少なさは異常である。それはこの本に掲載した写真を見られても、いかに少弐氏関係の遺跡が放任されているかで、想像がつくと思う。私は一介の野人であって、少弐氏研究の専門家でも、また少弐氏の縁者でもない。しかし、武藤少弐氏の取り扱われ方があまりに過少であるから、少しでも穴埋めするつもりで、この拙文と関係写真とを呈示するものである。読者諸賢の伴侶ともなれば幸いである。更にまた、世に埋れた関係資料の教示を願って、少弐氏研究の前進に役立つことが出来たらと希うものである。戦後二分の一世紀を目前にした現在、私にとって、まだ戦後は終わっていない。戦争に負けたなら負けたで、その由因、経過、収束についての反省がなければならない。現在の日本においてそれが充分なされているとは思われない。日本歴史において、大敗戦の経験は七世紀の白村江の敗戦と今世紀の太平洋戦争であろう。白村江の敗戦に対する反省としては、当時単元的統一国家とは考えられない状態の日本を、律令制国家へ向かって組織していった歴史事実によって証明されるものと考える。
 太平洋戦争の反省が果たしてどの程度なされているであろうか。狂信的小児病的中央集権主義国家への志向が、秀吉、家康の近世統一このかた四百年引き継がれ、それが明治以来の皇国史観に増幅されて、太平洋戦争の結末を迎えたと私は理解している。戦前、少弐氏は悪玉で、南朝方の菊池氏は善玉であった。客観性をもって歴史を把握される諸氏は、今頃そうした認識は勿論持たないと信ずる。ではなぜ、武藤少弐氏の事蹟が、一般に研究され、理解が深められないのであろうか。
 北部九州で少弐氏を度外視して中世を語ることは、南九州で島津氏を除外するのと同じことである。それが、どうしたことか、筑前、肥前の中世を語る場合、中央政府の官僚である探題とその代理人(その実態は、不連続で、在地制に乏しく、すこぶる不安定な存在であった)が云々されることが多く、最も中心に立つべき少弐氏の事蹟を忘却してしまう著作さえある。鹿児島の歴史で島津氏を忘れ、山口の史書で大内氏を忘れたら、どういうことになるであろうか。これと同じ、いやそれ以上に、公家・武家の顕官として歴史上枢要な地位を占め、中世を通しての九州第一の名門武藤氏が地元の史書に載らないことさえあるという現実を、読者は正常な状態と思われるであろうか。
 今日太平洋戦争の反省が充分になされているならば、少弐氏の歴史上の評価も、もっと真剣になされていなければならないはずである。それが今に放置されているということは、その反省が不十分であるという結論に達する。その反省の方向としては、中央に集中しすぎた国家権力を、地方と個人に適当に分散することでなければならない。白村江敗戦の場合と逆の方向である。
 古代国家権力、中央政権の集中と強化、それが縦横に解体され、また再統合される過程が日本の中世である。従って、北部九州を代表する少弐氏の事蹟を解明することによって、この地方の中世史も、健全な認識が得られるものと確信している。
 少弐氏こそ、中世における筑・豊・肥の主人公であり、探題、菊池、大内、大友は皆客人である。蒙古や李朝鮮の軍隊も客人である。また膝下には向背ままならぬ召使、すなわち国人衆を沢山かかえている。たとえば、秋月、原田、麻生、宗像、龍造寺、松浦党の面々といったところである。それらといかように応対していったか。四百年近い歴史の重みは、あまりにも厚く、そして忘却のヴェールに包まれている。白村江の敗戦と太平洋戦争の間に横たわる日本の歴史こそ、日本の国家、民族の、いつわりのない本音を示してくれる時代であると思う。一極集中のモノトーンではなくて、多極多元の陰影の深い対象がそこにあるからである。
 中世史の中でも、少弐氏の歴史は、亡び去った者故にいつわりは語らない。勝者は、まま虚構をもって自らを飾り、後世の識者の嘲笑を買うことがある。ただ、亡び去った者故に、残されたものがあまりに断片的、間接的であって、その遺跡も、遺物も、歴史の重みに比して、なんとも貧弱極まるものである。貧弱ではあっても、これは真実に違いない。そしてその真実は、敗戦の何たるかを我々に教えてくれる珠玉の歴史である。日本の将来にも示唆を与えてくれるものがあると信ずる。
 一九七九年三月に『大宰少弐武藤氏―その栄光と衰亡』と題する書を発刊してから今年で十年を経過した。いささかその間に採集し得た資料を加えて、その増補改訂版として本書を皆様の机上に呈する。
初版を発刊するに当り大層お世話になった前・九州歴史資料館館長・鏡山猛先生、太宰府天満宮宮司・西高辻信貞氏、郷土の尊敬すべき大先輩・筑紫豊先生、社団法人歴史と自然をまもる会事務局長・針谷直道氏、太宰府市教育委員会・藤田敏彦氏、畏友のフリー・カメラマン・吉崎一人君、この十年で全て鬼籍に入られた。吉崎君の写真は一部本書においても使用させて戴いた。これら先輩・友人の追悼の意をこめて、本書を霊前に捧げるものである。うたた十年間の時間の重みを感ずる次第である。
少弐・宗体制懇話会会長 渡辺文吉

【目次】より一部紹介
はじめに
Ⅰ 武藤小弐氏総説
Ⅱ 累代の人物像
初代・資頼
二代・資能
三代・経資と弟景資
四代・盛経
五代・貞経
六代・類尚
七代・冬資と八代・順澄
九代・貞頼と十代・調貞十一代・嘉頼と十二代・教頼
十三代・政資
十四代・資元十五代・冬商と馬場類
「五条家文書」と
Ⅲ遺跡・遺物と伝承(地区別)
筑前
太宰府安養院活武藤資基(伝)
武藤資能供養塔
太宰府崇福寺跡
鎌倉時代のガラス片
太宰府有智山城跡
太宰府浦の城
月限金古戦場
針摺原古戦場
諸岡原古戦場
岩門城
小弐景資墓(伝)
博多承天寺
武藤資類位牌・塑像・画像
元寇防塁
櫛田神社敷板銘写
博多祇園祭乱闘のこと
小武宗資元軍の生虜となる
明応二年銘供養碑
筑前長者原古戦場
筑前多々良浜古戦場
八田・恵通寺の陣
宗像大社蔵「阿弥陀経石」
武藤覚然流(窪氏)館跡筑
筑前国崎漁民の伝承
鞍手郡黒丸城
姪浜城
早良郡飯盛城
加布重天満宮と暖簾のない町
雷山千如寺大悲王院
原田荘東村八幡宮
星山城
高祖城
萩の原古戦場
秋月岡城
小沢頼尚塔と賀茂宗修尼塔
勝野古戦場
多良倉山城(帆柱山城)
豊前・筑後
馬ヶ岳城
豊前巖石城
香春岳城
豊前神田松山城
吉田都美神社
大保原合戦場
筑後本郷三原城跡と花立城山
鯵坂城
肥前
勝尾城
筑紫満門亡霊のこと
小武山城(綾部城砦群の一角)
盛福寺城山
小弐冬の墓と位牌仁比山神社(附 神崎荘・仁比山城)
医王山光浄寺
横岳資貞・同鎮貞の基
西島城跡
西乃宮八幡神社
横浜貞の九字印呪胴巻と寄整目結の旗印
肥前赤熊武者
小教類供養碑(附 鍋島家の由来)
与賀神社
与賀神社洪鐘銘
小沢政査と与賀荘の舟運
福満寺と境内の権現社銘科
鍋島藩主と関氏(小弐元盛末裔)
小武高経の位牌と供養塔
正一位境原若宮大明神
梶峰城跡と多久若宮八幡宮
多久専称寺と小武政資・資元基
肥前小城・千葉城跡
竹崎山観世音寺平井坊
松浦鎮は小弐冬尚の子か
元寇の島鷹島
肥後
竹崎季長「蒙古襲来絵詞」
肥後水島城跡
肥後隈部城跡
山鹿湯町城
山崎原の古戦場
肥後球磨郡山田城
壱岐・対馬
小弐資時とは(附 小景資は騎射の名手か)
壱岐箱崎八幡宮棟札
小弐畑の伝承対馬小茂田浜古戦場
対馬古戦場
対馬三根公方形跡
対馬佐賀浦と志多賀対馬内院の宝篋印塔
厳原太平寺と筑前桧原太平寺
太平寺地蔵菩薩
清玄寺鐘
Ⅳ 系図・年表
武藤小弐氏の系図
「尊卑分脈」小武氏系図藤原秀郷流
「筑後国史」筑後将士軍談を第三十四大宰小武系図
「太宰管内志」記載記事をもとにした系譜
「群書類従」巻第百四十九「系図都四十四」の武藤系少弐
「大塚系譜」
「関家系図略」
武藤少弐氏関係年表
引用文献略号


★状態★
1989年のとても古い本です。
カバー外観は裏表紙側に中心部に折目跡(大)あり、ほかは通常保管によるスレ程度、
天小口経年並ヤケしみありますが、本文は目立った書込み・線引無し、
問題なくお読みいただけると思います。(見落としはご容赦ください)


<絶版・入手困難本>オークションにも滅多に出ない、貴重な一冊です。
古本・中古品にご理解のある方、この機会にぜひ宜しくお願いいたします。


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